マイケル・ジャクソンのダンスシューズ

08.03.2009

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むかしむかし...とは言っても、ほんの半世紀前のちょうど今くらいの夏のことです。インディアナ州ゲイリーという田舎町で、マイケル・ジョセフと名づけられたその男の子は、9人兄弟の7番目の子供として生まれました。

ジャクソン家の大黒柱であるお父さんは町の製鉄工場で働く労働者でした。お母さんも家計を助けるためにシアーズ(*註1)で働いていました。音楽が大好きなお父さんは友達とアマチュアバンドを組んで、しょっちゅう自宅で練習をしていました。だから家にはいつも音楽が鳴り響き、また貧しい一家の楽しみと言えば音楽だけだったので、呼吸するのと同じくらい自然に子供達も音楽に親しんでいきました。

ある日、お父さんの大切にしていたギターでこっそりと練習していた兄のティトが弦を切ってしまったことがキッカケで、子供達の音楽への情熱を知ったお父さんは、その熱心な練習ぶりを見ていた優しいお母さんの助言もあって、自分が果たせなかったショービジネスへの夢を我が子にかけることを決めました。そしてその日から厳しい練習と週末のどさ回りというハードなスケジュールが、まだ5歳になったばかりのマイケルを含むジャクソン家の新しい行事に加わったのでした。

兄弟の中でも歌と踊りのセンスがずば抜けていたマイケルは、グループ最年少のメインボーカルになり、その愛嬌たっぷりなチビッコぶりで「ジャクソン5」と名づけられたグループの人気を引っ張りました。地元でもけっこう有名な存在になり、遠くシカゴへもこの才能溢れる愛らしいファミリーバンドの名前が届くようになった頃、お父さんはNYのアポロシアター(*註2)で行われるアマチュアナイトにジャクソン5を出演させることを決めました。このタレントショーで見事に優勝を果たしたジャクソン5は、モータウン(*註3)からの誘いでメジャーデビューを果たし、たちまち全米の人気アイドルになっていきました。

そしてその11年後、成長したマイケルは21歳(*註4)を機にソロになって世界中を熱狂の渦に巻き込み、とんでもないスーパースターになっていったのです。

幼い頃のマイケルは休憩時間も惜しんで、舞台の袖からジェームス・ブラウンサム&デイヴオージェイズという多くの先輩達が観客を興奮させる様子を眺めては、熱気いっぱいな彼らのステージングに心から酔い、エンターテイメントについての大切なことを肌で学んでいきました。中でも当時、一番影響を受けたのがジャッキー・ウィルソンでした。

ジャッキーが履いていたエナメルの靴。ピカピカに磨かれて光っていて、ライトが当たると赤やオレンジ色に変わるステージシューズは、まるでパフォーマンスを魔法に変えてしまうような威力を秘めていて、マイケルは美しい黒のエナメル靴を手に入れることだけを夢みるようになっていました。

そんなリトル・マイケル・ストーリーを知ってか、お馴染みのRepettoからトリビュートとして発売されたのが「Jackson Jazz Shoe」と名づけられたエナメル製のダンスシューズです。60年の歴史を持つフランス生まれのバレエグッズブランド「Repetto」は、ブリジット・バルドーが実際に愛用している甲の浅いバレエシューズを「バルドー」と名づけて定番商品にしているのも有名ですが、ついにマイコーの名前もクラッシックな舞踏の世界へと殿堂入りを果たすことになりました。

彼の訃報後、世界中でトリビューションの嵐が起こり、彼の残した楽曲のダウンロード数やアルバム、DVDの売り上げ枚数が飛躍的に伸びたというのは皆様の記憶にも新しい出来事だと思います。他にも彼の死をリスペクトしているにしろ、そうでないにしろマイコー関連のビジネスは留まるところを知りません。その背景については、ファンの一人として個人的に思うところもありますが、きっとこのエナメルのダンスシューズに自分の名前が冠されたことは、マイコー自身も喜んでいるのじゃないか?と妄想するのです。

小さなマイコーがエナメル靴を求めて靴屋を探しまわっても「うちじゃ、そんな小さいサイズは作ってない」と言われ、彼をガッカリさせ続けていたという逸話。そして先だってのメモリアル・サービスで兄マーロンが語っていた「マイコーはいっつも同じ靴を履いていたから変装していてもすぐにわかったんだ」という彼の靴にまつわる微笑ましいエピソードを知って、俗に言うShoe Lover(靴が大好きで取っ替え引っ替えする)とは違う靴への偏愛を持つマイコーにシンパシーすら感じてしまいます。

たしかに彼の足元に注目してみると、派手な衣装のわりに意外なほどシンプルで地味な靴を履いている。それは動きやすさを追究するダンサーならではのチョイスであると同時に、常にオリジナルであることを意識して自分の定番にこだわった結果そうなった・・・そんな気がします。

「良い靴は良い場所に連れて行ってくれる」というヨーロッパの諺がありますが、まさしくマイコーはお気に入りの靴を履くことで、ムーンウォークという未知の世界を歩き、人々を驚嘆させるダンスを作り上げることに成功していたのでしょう。きっと靴と自分が一体になってマジックを起こすという感覚を彼自身ーが一番よくわかっていたのかもしれませんね。

マイコーの足元秘話と言えば、白ソックスのエピソードもひとつ。50年代にはクールだった白ソックスも60〜70年代には「白い靴下を履いて死ぬわけにはいかない」という風潮になっていて(大げさですね)兄弟達に何度も白ソックスを履くことを止められたマイコーは、どんなに周囲に変わり者扱いをされても決して受け入れませんでした。そして「スリラー」以降、白ソックスを目立たせるためにパンツの丈をハイウォーター(*註5)にすることが、ファッション市民権を得たのもマイコーの功績であったのは言うまでも無いでしょう。

時代や流行のスタイルに流されず、自分のフィーリングにフィットするものを長く愛し続けたマイコーと、彼に逆風が吹いた日もメディア報道に流されることなく、支持し続けたファンの心はその「頑固さ」ゆえに共通点があります。そしてそれは彼とアナタの間でしかその繋がりを感じることが出来ないごくプライベートなものです。

スターとファンの関係というのは複雑で、想っても想っても現実の世界ではその気持ちが相手に伝わらないだけに悲しいし苦しい。恋する気持ちとも似てるけど、そこに日常的な関わりはなく、接点と言えば、ひたすら「相手を想う」ことしか無い。でも・・・気持ちを受け取る側が現実の世界を超えて逝ってしまった時、もしかしたら伝え手の強いバイブレーションは、パーソナルな形で大好きなスターに届くものなのかも。と、マイコーのくれた魔法を思い出すたびにそう信じられて仕方がありません。


My attitude is if fashion says it's forbidden, I'm going to do it.
流行からはずれてると言われてもやってしまう。というのが僕の姿勢なのです。

You always have to prove yourself to people and so many of them don't want to believe.
いつだって自分から人々に自分を判らせていかなければ、みんな信じようともしてくれないものです。
                              by Michael Jackson


-仕事に自分のすべてを注ぎ込んだ彼の純粋さへの理解に少しでも役立つことを願って-


*註1:全米チェーンのデパート
*註2:NYハーレムにある黒人音楽の殿堂。新人アーティストを数多く輩出した登竜門でもある。
*註3:1959年にベリー・ゴーディーJr.によってミシガン州デトロイトで発祥した黒人音楽のためのレコードレーベル。
*註4:米国では法的に21歳から飲酒が認められることから成人という見方がある。
*註5:ズボンの丈が短いことのスラング。


Illustration by Yuki Kitazumi
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Jackson Jazz Shoe 

Repetto 

£150 

Available at

Repetto 

 

すでにケイト・モス親方が着用する姿がパパラッチされて話題になっていますが、オーダーが殺到している状態で現在は在庫切れ。日本での取扱店も未定のようです。購入希望の方はHP経由で直接問い合わせるしか方法がないかもしれませんね。

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